1985年のプラザ合意後の急な円高が引き金にバブル景気が始まり、崩壊の兆しと余韻のさなかの1990年代に輸入住宅ブームが起こりました。 それまでは輸入建材の情報もなく、ごく一部のこだわりのある商社や建築家が独自のルートを駆使し、場合によっては現地(シアトル、バンクーバー等)に足を運んで調達したものでした。 ライフスタイルはもちろん、ドア、窓、床材、枠材、設備機器、断熱構造、施工方法など、見るもの全てが新鮮で是非日本でも採用したいと思ったものでした。 しかし見れば見るほど、知れば知るほど、安易な思考の修正を余儀なくされるのです。 それはアメリカ、カナダの国民性、気候風土、もっと大袈裟に言うと歴史観にさえ結びつくのです。 最も頭を悩まされたのが気候風土の問題でした。 湿度の低い北米では日本のような雨の多い高温多湿の対策はほとんどなされておらず、本来なら高級であるはずの無垢の木製ドアや木製サッシ、フローリングすらも日本では弱点になるのです。 断熱工法も然り、北米の寒い気候を考えた高気密工法は家の空気の流れを遮り、日本の伝統である夏の涼しさを工夫した和風建築工法とは真逆の発想です。 これらの問題を克服し、北米建材とデザインの良さを存分に引き出し完成した輸入住宅は私たちにとって小さな自慢でした。 しかしバブル景気後期、大手住宅メーカーが円高の勢いを利用して参入して作りあげた輸入住宅ブーム、これにより我々が取り組んでいた輸入住宅そのもの本質が大きく崩れました。 大手がやればそれに乗り遅れまいとする地方の中小ビルダーも現れ、円高差益の恩恵を受ける輸入建材であればクオリティを問わず使用し、気候風土を十分考慮に入れない多くの輸入住宅が建ち並びました。 ブームはあくまでもブーム、バブル景気の崩壊に伴い多くの住宅メーカーやビルダーは輸入住宅事業から撤退し、倒産する会社も少なくありませんでした。 利益の生むところに群がり用が足りれば直ぐにその場を立ち去る、大資本のやり方は今も昔も変わりません。 その結果、様々な問題を抱えた輸入住宅もどきの家が数多く残りました。 トラブルの多くは、サッシ、雨漏れ、壁体内結露が起因し、特にサッシは海外メーカーも撤退し国内代理店も現存しないので手のつけられない状況です。 そんなお悩みをお持ちの方からのご相談でお邪魔する機会も多いのですが、既にリフォームをしておられても、輸入住宅そのものを理解していない工務店や大工さんにお願いしたため、構造的な欠陥を広げている家も少なくありません。 しっかり設計し造られた輸入住宅は50年はもちろん、100年もたすことさえ可能です。 (実際に神戸や横浜に多く存在しています) 輸入住宅ブームから約30年、改めてお住まいの状況を確認する時期に来ているのではないでしょうか。
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